被害について
特定の個人・家族を徹底的にマークして攻撃する。
偶然性が高いような事象を被害者には意図的であるかのように感じさせる。
実は物量・人員を大量に投入可能であるから可能な演出的な犯罪だ。更に言うなら、加害者は通常の思考・感覚を持った人間ではない、一種病的、狂信掛かった行為を繰り返すことが出来るような人種である。
被害者に対して情報制限、人間関係の破壊、聴覚的・視覚的・身体的刺激、付き纏い、待伏せ等のあらゆる害悪を与えている。
ブログへのレスポンスも頂いているが、恐らく、多くの同様の犠牲者が存在して居ると考えられる。
実際、2チャンネル、ブログや関連のサイトを見ると私が経験したことと同様の犯行手口を加害者は持っている。
自分が体験した聴覚的・視覚的に感知できる範囲であるが、関与している加害者のタイプは多岐に渡る。
加害者の年齢は、乳母車に乗せられた乳児は仕方ないにしても、物心付いた小児から、杖・車椅子や付き添い無しには移動できないお年寄りに至るまで非常に広範囲である。
職業も特定化できない。主婦、学生、サラリーマン、意志、警察官、消防、自衛隊員、ニート (?) 、公務員、アルバイト、無職とすべての職業に関与している。傑作なのは○○風というタイプもある。
例えば、サラリーマン風、これはどう見てもサラリーマンには見えないがサラリーマンを装っていたりする加害者というより工作員を電車の中でよく見かける。
ストーキング行為はそれだけで十分非日常的な行為として受け止められるが、特定もしくは不特定の加害者から夥しい回数のストーキング行為を毎日繰り返し行われる。
心理的・身体的なストレスはいかばかりかを短時間に第三者に伝えることは不可能だ。
興味深いのは、これらの集団的なストーカー行為がインターネットや風説としては成立しており、多くの被害による死者を出しているにも拘らず、公には集団ストーカーの犯罪として取り扱われないことである。加害が加害者の中でどのように正当化しているのかは不明だが、明らかに反社会的な犯罪行為である。
世代、男女、社会的階層に関わらず多数の人間が関与している実態と被害の報告があるにも拘らず、マスコミやメディアが関与しない・できない状況がさらに被害を深刻にし、拡大させる要因にもなっていると考えられる。
社会的に認識しない、あるいはできないようにすることにより、法的整備がなされない。従って、保安期間の対応も被害者への保障も出来ない。
法治国家の存立さえ危ぶまれる社会現象を引き起こしている。
このような現状に対して、何が行えるか。
この問題は特定の被害者個人の力では不可能と考えるか、確かに、個人的には無力に近いかもしれないが、被害の実態が存在し、人権が侵されるという本質論においてなんら被害者が卑屈になり、無形の暴力行為(身体への危害関与も有る、その場合は有形)に屈する必要があるかという思いがある。
被害者個人の持社会的な力は有限では無い。個人が出来る主張・表現、行動は非倫理的な行為の正当化を超えることが可能だ。
論理的に説明可能な証拠の収集、文書・ブログ・サイトへの表現、知人・友人への相談、公的機関への働きかけ、あらゆる対応方法が存在する。
軽微で回数が多く、日常化して埋没してしまうかもしれない犯罪状況の中で、人間の権利への侵害の罪は重いことを認識する事が反社会的行為を潰す根本になる。
被害者で無い人間が被害者になる可能性は大きい、被害が拡大している現実を社会は注視すべきだ。


集団ストーカーについて
自分の家庭がある場所、通勤路、職場で社会的な環境で多くの人達に関係を持つ。
最近、ここ半年ほどになるが日常的に妙な現象に遭遇している。
最初は気のせいかと考えたが、そうでもないようだ。
それは、自分が何か意識的に害を加えられている被害者ではないかという状態にいるということである。
害とは何か、愉快ではない事で有り、不利益に繋がるような事象である。
例えば、自分の行動にタイミングを合わせた騒音・光の点滅、歩行や自動車の運転時の進路妨害、不自然な身体的な痛み、職場での仕事の不自然な流れ方、多発する個人に対してのクレーム、通勤時の不可解な人間との遭遇、特定・不特定人物の待伏せ・付き纏い等多くの不可思議で、妙な事象、問題が発生している。
ネットで調べてみると、マスコミ・メディアでは伝えていない被害が存在することが判明してきた。「集団ストーカー」という言葉で同様の現象が存在し、多くの被害者がほぼ同じ様な被害に直面していることを認識した。
個人の力では、到底及ばないこれらの事象の根本原因を探り、社会的な認識が持たれる事を希望し、このブログへの書込みを始めた。
刑事事件に繋がらないように軽微では有るが社会的には犯罪行為、明らかに人権を阻害する行為を積み重ねながら苦痛を強いられる。
このような現状を放置する社会、というよりその状態を作り出している犯人、団体が存在する社会が健全とは思えない。
このささやかなブログにより、少しでも社会的な認識が深まり、被害の実態が究明され、自分を含む対象とされている方々が救済されることを願うものである。
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