最後の加害者
どのような洗脳的な活動により人間がこのように変質してしまうのかは、私には理解できない。
しかし、人間は非常に弱い存在なのだろう。
何らかのきっかけで加害の主体となってしまう。カルトを信じているからか、騙されたからか、仕方なしにか、金銭の授受によるものなのか、様々な理由が存在するのだろう。
我々被害者は加害者としてストーキングを繰り返す側に立ってみることはあまりない。
被害を受けた瞬間、その加害と被害の堺に立たされる主体となるから、被害者にとってみれば、加害者は敵でありそれ以上のことを考えることはない。
しかし、何回か同じ被害行為をくり返し受けていると加害行為に対して免疫ができて、相手の顔や状態が見える場合、その加害者がどういう心理状態かを少しみえるようになる。
加害行為はパターン化しており、相手の状況を観察することができるようになる。
こちらはいわゆる思考盗聴ができないので、あくまでも相手の心理状態も想像の域を出ない。
なかには、十分楽しんでいる輩もいる。
時間帯によっては、例えばラッシュアワーの帰宅時は仕事で嫌なことでもあったサラリーマンの場合はどうかとか考えてしまう。
また、狂信的な加害者は当然の行為と思い行動しているかもしれない。
被害者でも加害者でもない一般人が客観的に見れば、この集団ストーキング行為などは信じられない状況、まずこのような背徳行為が存在することが理解し難いという立場が普通である。当然カルト的思想に侵されているとはいえ、幸福とは思えない表情の加害者の多くは洗脳の一方で一般人が抱く普遍的な倫理観、善悪の彼岸にさ迷う段階にあるらしい。
実は、人間が人間であることを放棄した場所で棲息することを余議なくされた加害者は、一番の被害者なのかもしれない。
しかし実際はそのような、感傷的なものではい。
軽犯罪、刑事事件に発展する以前(時には刑事事件)の行為を繰り返すことが手法であり、
いわゆるバレなければ何をしてもよいと考えるこのカルト集団の手法は被害者のみならず人類の社会的規範からすると、人権無視の鬼畜の犯罪行為と考えるのが妥当な状況だということがいえる。裁かれて当然の犯罪事実が日々繰り返される。
問われれば犯罪集団は、すべての犯罪項目に対してどのように回答するのだろうか、偶然だ、証拠がない、軽犯罪にも刑事事件にはならないとでも答えるのだろうか。
加害者は長い加害行為の歴史とエキスパートの研究の結果からあらゆる熟練された手法、人海、物量により加害行為を合理的に行うことが可能だ。
だとすれば、個人がどのようにこの悪辣な行為に立ち向かえるだろうか。
全く無力なのだろうか。
しかし個人が、社会から黙殺されている不条理極まりない人道の域を逸脱した行為に直面している以上、単に私が被害者だからというだけではなく、この状況を黙認するわけにはいかない。
日本ではマスコミ、官憲、政治、社会の多くの基幹分野が揃って無力で、この社会悪に根本的に立ち向かっていくことを不可能な状態にさせられている状態だ。
だとすれば、我々に何ができるか、否、この進行しつつある悪の現状を知らせ、撲滅せしめる義務がある。


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何を意味するのか。
加害者は何らかの意味があることで、このような馬鹿げた行為を繰りえしているらしい。
まったく理解できない論理で組み上げられた内容により、遠大なコストと人員、倫理性に反する行為を毎日繰り返す。
加害者と目される人間に何をしているのかと質問すると加害行為はしていないし、理由も無いという。
といって証拠となるようなことに対しては非常に神経質に反応する。
例えば、カメラやボイスレコーダにたいしての非常識な反応。
例えば、ある加害者は加害行為を監視カメラの死角になるように体をよじってさえ避けようとしてまで行おうとする。
どうやら、加害者は行為の犯罪性は認めているらしい。
また、こちらの視界や聴覚的な認識状況も理解しているようだ。
加害性にたいしての質問への答えはどうも虚偽であるようだ。
加害者は偶然を装う全ての行為は犯罪であることを理解していて、反社会行為であることは認識している。しかしながら行為を行うことが必要とされてるらしい。
一般的な倫理観では理解できない行為がなぜ必要とされているのか被害を受けるものには理解できない。加害主体しか理解できないことが何も知らない被害者に向けられる。
不条理な行為が毎日繰り返され、被害者は苦しみ続ける。
事情・情報は一切伝わらず、他者に相談することさえ不可能な孤立した人格はどのような対応が可能だろうか。
結論はそう多くの選択肢を持たないだろう。
一般的にこのような場合、精神的な不整合や肉体的には疾患を伴うことが予想される。
破綻をきたし、社会的な不適合となる。自殺や精神障害を引き起こす。
個人がそのような状況に至ることが加害者の願いなのだろうか。
ネットの書き込みにはこのことに対して多くの回答が書き込まれているが、本質を知ることは困難で、実証されていない。
民主主義国家といわれる国に住んでいながら、毎日犯罪行為に直面していて、犯罪行為を止めることができないという不思議な現象。
このような現実が存在することを社会が認識するところから出発する必要がある。
不条理な世界が存在していることを理解しているのは被害者だけでもない。
しかし実態を知っているのは被害者だけかもしれない。
官憲も犯罪を黙認しているのかは不明だが、国家の保安はこのような不自然な人権認識の上には成り立つとは考えられらない。
いずれにしても、24時間365日の個人監視が存在し、加害行為を繰り返すことのできる人格が存在し実行していることが、近代国家で成立していることの不可解。
長い人生を過ごしてきて、このような超常的な人為行為を知ることができたとは、人生まんざらではない、生きているのは面白いことの連続だ。
私は幸いまだ統合失調症に至ってもいないし、最近同様の被害を受けている方にも実際知り会うことができた。
ネットでは、新たな都市伝説が語られ、私はその主人公だ。
こんな、重要な主体は無い。


警官の来訪と儀式
経験的に警察内にも多くの加害者団体(創価)のメンバーが潜んでいることは理解している。
事によると警察自体も、体質的に集団ストーキングチェーンに汚染・組み込まれているのかとの疑問を持つことが妥当かと思えるほどである。
8月2日昼ころに一時間内に2回というひどいバイク騒音があり、この被害を警察に電話連絡した。
このバイク騒音の加害者は夜中にもバイクによるノイズキャンペーンを繰り返す常習犯だ。
今回警官の対応は以下の通り。
警察は土・日は手薄で加害者団体(創価)のメンバーが待機している場合が多い。
通報時に電話に対応した警察はあまりまともに取り合いたくない様子で、注意してこちらの状況を聴くという姿勢は受けなかった。
パトロールは強化するとの返答だった。
一時間程すると、パトロールの一環ということなのか2名の警官の突然の来訪を受けた(一名は30歳代、片方は50歳代)。
しかしこの事情聴取も非常に不自然な状況だった。
- こちらが被害者ということであるのに、威圧的に(威嚇といった方が 正しいかもしれない)、こちらの主張や説明を打消す否定的な言動で時には加害者側の正当性を延々述べる。
- 事情聴取は単なる名目で、状況を把握する業務をしていない。 聴取内容を理解せず被害状況の事前理解も無く、来訪中も事情を複数回数説明する事があった。
- 聴取内容をメモしているようだったが、ノートを覗くとほとんど何も書いていない。
時にはペンを無意味に動かしているだけだった。
- 面談中ノイズを出したり、顔を掻く等の不自然な態度をとり続ける。
- 近隣のストーカー連中が、この時を見計らったようにこれ見よがしに押し寄せてくる。
以上から今回加害者団体メンバーの警官の来訪の意味は以下の内容と考えられる。
①(国家権威をバックにした)威圧的な態度によるストーキング行為、②「警察への連絡は無意味」というメッセージ or 事象のもみ消し、③加害者(信者)との協業によるコラボストーキング。
マニュアル通りの不思議な儀式を繰り返すストーカー行為である。
このような状態は集団ストーカー行為を理解する一つの鍵になる。
一般の人間には見えない不自然な社会の仕組み(歪み)の一端がここにある。

