警察と110番はいつも同じとは言えない
また例の如く創価警官の茶番劇を観劇した。
今回の事案は近所の肉屋の奥さんが我家前の駐車場の車両で外出タイミングを見計らいドアを大きな音でバタンと閉めるノイズキャンペーンである。
実はここ一週間程集団ストーカー行為、ノイズや付き纏い、その他諸々の嫌がらせに対しての意識が変化して、加害行為はさほど気にならなくなりつつあった。
最初は意識して気にしないようにしていたのだが、最近は自然とそれらの行為が滑稽に見えるようになり、意識せずとも無視できるようになってきたものだ。
このような状態になると犯罪団体も集団ストーカーの意味が無くなると思ってか、今度は苛烈なノイズ、光、痛み攻撃等のレベルアップをして来た。
状況としては、逆戻り状態の様相で集団ストーカー行為が依然として存在しており、意識に上る加害行為でなくてはならないということ、加害行為の存在感を取り戻すべく身の回りのすべての事象は恣意的な加害行為であること強調状況を作り出している。
逆にいえばこの辺が集団ストーカーの意図していることのある意味では限界でもある。
被害者が被害者の中で増大する被害感を持たないとすると、その被害意識上に成り立つシステムが成立せず、加害者の目論見自体が崩壊するからである。
今回の事案はこのような流れの中での加害者の際立った行為であり、警察に連絡をした。
今日も、また以前とは異なる担当がやってきた。
若い男性、女性、中年の男性2名の計4名である。
内3名は明らかに創価と思われる仕草と言動である。
また、警官は例の如くお決まりの聴取を行う。
こちらは集団ストーカー行為により被害を受けているとの訴え、偶然ではなく何度も同じ加害者から、同様の嫌がらせを受けている事実を繰り返し説明した。
年長の警官はこちらが主張する状況の事実性の否定から始めて、暗に警察も創価で事件の表面化は困難だと言いたかったようだ。
1名は創価か否かは不明だが、こちらの説明に耳を傾けていた。
今回は犯人が特定化している事、犯行も意図的で偶然性の可能性が低い点を強く主張、警察だけでなく、被害者参加による加害者本人から事実関係の聴取を強く希望・主張したが却下された。
蠅の如き加害者の群れはまた例の如く、玄関先での警官との話の間中、うろつき回り、ノイズキャンペーンやらを繰り返す。
今日はこの蠅のように集まる加害者団体について新しい発見をした。
大概いつもこのような場には、野次馬のような加害者が集まることになっているが、今回気付いたことは、3~4人の加害者・加担者(?) が警官のいる状態でわざとこちらを見て、さもこちれらが何か問題を起こしているかのような演技をしていることだ。
如何にも、我々から見れば創価信者風な主婦の群れである。
こちらからしてみれば、眉をひそめるような行為はしていないし、わざわざ寄って来て演出を加えるという誠にご丁寧な劇場状態のデモンストレーションを施すという凝りようである。
まるで良くある芝居のワンシーンを連想させるような光景が展開されていた。
人間が集まり特定の人間・家庭を追い込むという光景はどう考えても異常である。
それも面識が全くない群衆によってである。
このような正常な考えを持つ善良な市民の行動とは言い難い状況を日々拡大する努力が謀られている。
本題に話を戻し、警察への通報は本当に無意味だろうか。
通常110番の通報は県警の窓口であり、この受付から所管の警察署へ回される。
いつもは110番に電話すると、所管の警察署の電話番号に連絡して欲しいと言われ、直接警察署に連絡していた。
今日も110番に連絡すると受付はどうも創価のようだった、これは受け答えから来る印象である。
今日は110番から所管に連絡という経由にした。
今回の来訪した所管の警察署警官は110番への通報はやめて欲しいとのコメントだった。
ということは、110番通報はした方が良いということだ。
事案のもみ消しを図るための茶番では、この事実の記録が集団ストーカー加害者にとっては不都合なものではないだろか。
いつも、加害行為者に対しての警察の態度は被害者の保護を優先せず、うやむやにしている。
当該加害者住民への聴取・説明は本来の被害者は度外視して行われることから、調書を取る場合は、こちらに不利な内容が列記されているものと察する。
通報や連絡受け渡しには記録が残り、同一加害者による同一犯罪は通報により、偶然のシナリオは否定されることになる。
また、事件が表面化した際に警察は記録の隠滅を全面的に行うことができるかとの考えがある。
このような市民から上がる犯罪行為に対応しないばかりか、隠滅と権力の行使による犯罪の蔓延を招く官憲の意義はどのように理解すべきものだろうか。
非合法行為が如何に裁かれることを困難にしたか、加害者団体の魔の手にある立法機関によるストーカー法案の骨抜き工作の国民に与えた被害は大きい。
<追記>
今日はまたゴミ回収が昼食時(14:20頃)を狙ってやってきた。
しばらく、抗議のお灸が効いていて食事後のお茶の時に見舞われていた行為が今日は上記の熾烈化政策のためか正に食事の開始時に現れた。
さて今後の展開は、また後日。
【参考記事】



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就業の場の侵食
昨今とみに景気の減速から賃金、失業や再就職の問題に関心が集まるのは当然としても、ターゲット被害者にしてみれば通常の就業の場の苦労以外に想像を絶する苦悩を引き起こす状況が待ち受けている。
職業を持つ多くの被害者の方からのメールやブログを拝見していて、心が痛むのは就業の場を奪われ「兵糧攻め」状態に陥っているという深刻な現状である。
単純にリストラストーキングといわれる行為も存在するが、その場合は再就職や事業の立ち上げで努力さえすれば生計の維持、成功の可能性も有る。
今後如何に生計を立てるか、失業保険、健康保険、納税、今後仮に再就職の可能性、また就業が可能になったにしても再度職場環境で遭遇するような集団ストーキングに対しての危惧等の不安材料を抱えている立場にある。
当然キャリアアップ、希望職や将来設計も自由な選択肢が奪われるというシナリオが展開する。
前回の記事のように私も例外では無く、就業については上記のような問題に直面している危機的状況である。
加害者の常套手段である他人の生活を覗くことさえ大罪であり、人倫では許されないことであるのに、ターゲット被害者の生活に対しての妨害を行うことは、常人には全く想像につかないことだろうが、いかに大きな罪であるか。
加害者の中には企業倫理はおろか、自らの存在に対しての意味さえ疑わざるを得ない矛盾の上に立脚した不条理な理論が存在する。
どのように考えると同僚、部下、上司、取引先担当を葬り去ることを是認することができるのか、まったく理解に苦しむ。
この驚愕すべき悪の人間観を複数の加害者・加担者が共有している現実はその場に遭遇した者でないと知ることも説明することもできない。
就業環境下で評価も悪くなく、活躍を望まれて来た被害者がターゲットに設定された瞬間に、その悪のプログラムが起動し、組織の中から抹殺されるまで工作活動が繰り返される。
職場だけでなく通勤経路、出先全てにおいて得体の知れない悪霊の如き加害者・加担者たちが付いて回る。
マスコミも司法・立法・行政の立場に立つ人間もこのような社会の闇を承知しており、目を瞑り全く対応しようとしない。
そればかりか犯罪行為の告発者を排斥する理論も環境も完備している。
このような地獄とも呼べる環境を作り出している日本の現状はどのように解釈したらよいだろうか。
毎年3万人以上の自殺者を出す日本という国の病理状況はとても健全な状況とは呼べない。
就労の問題、人間関係から自殺をする人間の比率は高い。
解明されてはいないが、この自殺者の中には直接的、間接的に多くの被害者、被害の非自覚者、関係する被害者が存在することと思う。
また、年々就業意欲を持ちながら社会から抹殺される人間の数は上昇している。
私は集団ストーキングターゲットに設定され行為が開始される以前から、所属する企業組織内の工作員達の異様な行動やビジネスマナーの無視、非合法的な行為の現場を観ている。
虚偽のデータの作成、顧客との約束を平気で反故、機能的な行動をせずに多大な損失の発生、虚言に基づく売買契約、製造システム停止の原因を作り出す等ビジネス上での被害には枚挙にいとまがない。
だとすれば、集団ストーキングが起動していない、もしくは直接工作に関与せずとも、このような蝕まれた精神構造を温存し、助長するような工作員の所属する団体が大きな負の要素として、日本の健全な経済活動を阻害していると考えることができる。
「総体革命」を信奉するサイコパス集団を含む連合反日勢力に席巻される現在の国土にはもはやこれら闇勢力の勢力拡大に歯止めがかからない状況なのか。
産業の活性化は正に「北朝鮮状態」の閉塞状態からの脱却による、産業の活性化が必要だ。
雇用の安定化、新規ビジネスモデルの創生、需要の拡大等日本には大きな可能性が存在する。どれもこれも社会不安を払拭する所から始まる。多くの日本人が感じている将来への不安は少子化高齢化、情勢の流動化、国際競争激化等の問題だけでは論じられない要素が大きい。
ターゲットの数が多い少ないという議論ではなく、そのような不自然な状況を作り出している少数の異常な人間達が多くの日本国民を巻き添えにして将来を暗澹たるもの、国力弱体化につながる事に腐心している事実を理解すべきである。
「集団ストーキングは公共事業の一部」だとの忌むべき例えさえあるが、異常な考え方・仕組みは一部器官の病理が人体の生存すら危うくしている状況にも似た現象であり、その病理部は早期摘出が必要な程悪性のものである。
最近ではこのような不自然な社会状況であることに多くの人達が目覚めつつあることも事実で、ネット社会での世論とマスコミメディアの伝える内容とは大きく食い違うことが問題視されていることも、その証明でもある。
闇の力を結集した異常な考え方を持つ人間たちとその活動、集団ストーキング、常人の認識・理解の範囲を超えた犯罪が存在し、現実問題として生活の場を奪われるにまでに至る不条理な被害が存在することを訴えるものである。
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日本に必要な波紋
しかし、これらの自己の進退をかけた重要な問題提起の動向にたいして、報道がどうにも表面的で恣意的である点が不可解だ。
メジャーなメディアでは一部の発言・行動についての報道が成されその本質的な問題についての報道は少ない。
両氏の報道では「日教組」、「侵略戦争発言の真意」をタブー視し、これらに触れることは許されないかの如く、表面的な解説以外に論駁されることすらなく、幕を引くプロパガンダのようにさえ感じられる。
報道されるような問題があるとすれば、何故進退を問われるような発言が発生して、それがどのような影響を与えているか、また事の本質的な議論や客観的報道が成されてもよいのだが、そのような説得力を持つ内容は非常に少ない。
問題提起の手法の問題はあるにせよ、これら事案が持つ意味は非常に重いが、内容にについては深く触れない。
日教組による弊害に誘発される教育現場での諸問題の議論も無く、先の大戦についての本質的な議論も無い。
片やただ教育の荒廃・空洞化を助長させており、歴史観においては村山談話を引き合いに出し自虐的な論説を是とする世論に変質させている。
粛清の如く正論とも思える発言を論旨の解説、論説も無しに、犯罪者の如く決め付け報道のまな板に載せ容易に切り捨てることができるのか、マスコミの姿勢には疑問を抱かせずにおれない不思議な加熱状態にある。
進退についての報道が終了すれば、問題提起をした当事者の方々は社会的に葬られ、不可解な世論だけが形成されて事を閉じ、また次のターゲットを見つけ同じことを繰り返す。
時事問題の論評として今後も話題として取り上げられるのだろうか。
テレビと新聞で伝えられている内容に浸りきってしまえば、メデァの日教組、自虐史観への偏向操作を看過することは困難である。
テレビも新聞も自らの使命を自覚しない品位を欠いた報道に奔走し、本質についての論評を避けた世論の操作に躍起になる構造が見え隠れする。
田母神航空幕僚長は侵略戦争政府見解とは異なる歴史認識を民間懸賞論文に「日本は侵略国家であったのか」として発表したとして解任された。
「日本人よ、誇りを取り戻そう」との言葉が示す通り、歴史認識についての議論がこの件をきっかけに再燃しても不思議ではないと思うが、効果は逆だったように見える。
報道の一部で「一言も反論できないなら北朝鮮と同じだ」とのメッセージを伝えていた。
この発言はテレビでも本人の肉声の部分の引用での報道ではあった。
また、省庁、自衛隊内の関係者の処分もあり公論の場での粛清が続くようである。
自虐的な歴史観を肯定し続け、国のあり方さえ本気で論じないことが国是なのだろうか。
野党と与党の部分勢力はこの事案を解散絡みの政局闘争の道具にしようとしている。
日本を取り巻く情勢も物理的環境も村山談話時代と遥かに異なり、自らの考えで決断を下し、自らの足で歩むことを強く求められる時代であり、防衛議論さえ碌にできない世論の醸成は欺瞞としか言いようがないと考える。
まさに北朝鮮のような状況を作り上げる舞台裏と田母神航空幕僚長の国会の招致があるのであればその言動と動向について注視する必要がある。
勿論、最大の関心事の一つである矢野元公明党委員長の国会招致の問題はすり替えられるべき事でないことは当然のことである。
[YouTube 平成20年11月4日夕刻【防衛省前街宣1】-後編]
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職場での孤立化
集団ストーキング被害とは無縁の通常の職場環境でも社内外に競争相手が存在することもあり、管理職で地位が上がれば中々相談相手もなく孤立感を深めることはある。
しかしながら、このような通常の意味での職場の孤独感ではなく、企業組織の中で集団ストーキングに遭遇し孤立させられる時の孤独感は恐怖に似た感覚がある。
将来の地位や糧の全てが奪われるという危機感は説明し難い程の苦痛を与える。
私の場合は会社での人間関係は徐々に風評、人事的な異動、交流遮断、コミュニケーションツールの破壊により遮断されて行った。
付き合いの大きい社員、同僚、有益な関係を持つ人間、親密な顧客から遠ざけられた。
仕事量も質も達成度も徐々に影響を受け、減少し悪化する。
業務も客先も工作社員により活動の場を奪われていった。
例えば、満足度が高い顧客の案件の場合では、別の担当から顧客に手が回り荒さがしと中傷の内容が本人に知らされることなく連絡され、担当不適当との理由にされたこともある。
最悪の場合は顧客側に加担する加害者が存在し、社内の工作担当と共謀し担当を外すケースなどもあった。
身近な社員が最初は工作員の正体を明かすことはなく、こちらの情報を引き出し操作しながら、別の工作社員に情報を流し企業組織からの隔離工作を図る。
不可解な業務の流れの中で、孤独感と被害感で精神的なダメージはピークに達する。
通常の性善説的な考え方の一般の人間に会社組織内で発生している集団的なストーカーの振舞いを説明しても理解されない。
悪を為すことが可能であるという立場で実行される行為には通常の人間観、ビジネス倫理観では想像し難い禍を発生でき、それらを防止することが非常に困難であるという事実。
3月4日NHKでの放送の「クローズアップ現代 もう職場に行きたくない ~広がる大人のいじめ~」で企業内のいじめの問題が取り上げられたことがあった。
この番組は企業内の組織的ないじめについての問題を取り扱った点では有意義だったが、表面的な解説だった。
ターゲットにされる人間の深い内面的な分析もなく、集団ストーカーの存在も言及せず、単に企業組織の救済に焦点を置いた、本質の隠蔽を行うマスコミの論点すり替えでしかなかった。
やはり集団ストーキングの表面化により、このような番組でもスポットライトを当てさせる状態になることが必要だ。
これはターゲット被害者だけの問題ではない。
現在では企業の乗っ取り、不都合な企業や社員の排除等加害団体にとっての組織の操作は工作の方法と複数の工作員の侵入、顧客企業の対応により、比較的容易に可能と考えられる。
景気の動向とビジネス環境の変動により加害の理由と手段はどのようにでも適用可能になる。
事実、比較的小さな企業、外資系企業が狙われているという話をよく聞く。
また、リストラストーキングとは被害が異なるかの区別もつきにくい現状でもある。
企業内で横行する被害が集団ストーカーの延長線上に存在する現状に対して認識が行われることが問題解決の拡大と防止の道を開く。
【参考記事】
地方での被害経験と蝕まれる地域社会
企業戦士に忍び寄る影


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